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「異文化理解への道のり」の巻

久しくブログを書いてなかった。

ちょっと気休めに書く。

ベトナムに来て2年半ほどが経つが、

異国での生活はやはり日本のそれとは大違い。

1年目の頃は、価値観の違いで、衝突することが多々あった。

何度か海外を旅行したことがあったので、

異文化理解を心得ているつもりではあったが、

やはり現地に来てみると、頭で分かっていても、いざそれに直面したときに、

冷静な態度をとれるかといえば、まだまだ素人だった。

生まれ育った国が日本であるから、

当たり前なのだが、どうしても日本の基準で考えてしまっていた。

だから、よく頭に来て、かなり失礼な態度をとってしまっていた。

そんなことが1ヶ月2回ぐらいのペースで訪れ、いつの間にか2年半が過ぎた。

2年を過ぎた頃から、少しずつ変化が訪れた。

「しゃーないよ、ここは日本ちゃーうもん」

悪い風に捉えれば、諦めというか、逃げというか。。

良い風に捉えれば、寛容というか、達観というか。。

どちらなのかは自分でもわからない。

起こりうる状況によって、違うから。

でももはや最近は、解放されたというか自由になれたというか、

ちっちゃなギャップで目くじら立てていらいらすることが徐々になくなってきた。

逆にそんな人を見たときに、「あ~あ~」と滑稽に見えてきてしまうほど。

また、そんな変化があってから、ここベトナム、ホイアンを愛おしく感じ始めた。

意味がわからないが、なぜか、景色や人や動物や木や建物を

じっくり眺め、ほっこりする場面が増えた気がする。

そのせいか、作るビデオもこんな感じのものが多くなった気がする↓↓



良いのか悪いのかは、仕事や環境にもよるもので、まさに人それぞれだと思うけど、

ついにその域を感じ始めたのかと思うようになった。

それは逆に言えば、日本社会への復帰が危ぶまれるのでは、なんて得意げに思ったりもしたりしなかったり。

だが。。。

ある事件が起こった。。。

異文化は、そんな甘くはなかった。。

次回へ。。。




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「ホイアンに唯一ある日本的お土産屋の美人店長は、アイドルを目指し、日々奮闘していた」の巻

またしても、久しぶりのブログとなってしまいましたが、

持続性がない自分に別に落胆しているわけではなく、

もうそれは仕方ないのだと、割り切っている多少部分もあるでござる。


さてさて、最近は、何をしていたかというと、

皆さんもご存知の「ホイアンええやん」を作っていたわけであります。(ご存知ちゃーうってかい?)

「ホイアンええやん」を簡単に説明させていただくと、

わたくし目線のホイアンの魅力を映像でたっぷりお伝えするというもので、

すでに第2弾まではご紹介したと思います。

見たことがない方は、ぜひ私のブログを遡って見てみて下さい。


今回は、ホイアンで日本人女性が営むお土産屋さん「COOL JAPAN」をご紹介します。

店長の名前は、ヒルカワ ユキさん。
ヒルカワ1

約1年前に、ホイアンにお土産屋さんを開き、

「日本とベトナムの融合」をコンセプトにたくさんのユニーク商品を販売しています。

なぜコンセプトが日本とベトナムの融合かというと、

かつて16世紀に、ここホイアンには日本人が1000人ほど住んでおり、

日本人町も存在していたといわれています。

ベトナム国内で唯一日本との関係が色濃いホイアンで、

日本を前面にアピールしたお店は、今までありませんでした。

そこで、ヒルカワさんは、日本とベトナムとを融合させた商品を

揃えたお土産屋さんを始めることにしたそうです。

そんなヒルカワさん、実は、密かにアイドル活動もされているそうで、

ヒルカワ4

飲み会や、ホイアンのイベントなどにたびたび出演しています。

経緯は、よくわかりませんが、自称「ホイヤン娘」として、

ヒルカワ2

時には、ベトナム人の女の子たちも巻き込み、日本のアニメソングや、

日越友好を歌った替え歌などを披露しています。

ヒルカワ3

海外に住んでみて見えてきた日本の良さ、そして、ベトナムの良さ、両者を

世界中の人たちに伝えたい、味わってもらいたい、手に取り感じとってもらいたい。

多くの欧米人観光客が訪れるここ観光地ホイアンで、そんな彼女の想いを実現できると確信したのだろう。

お土産屋さんを始め、1年が過ぎ、徐々にお店の知名度が上がり、店には多くのお客さんが訪れるようになった。


そして、もう一つの顔であるアイドル「ホイヤン娘」も、エネルギッシュに活動を続けている。

国籍を越えてつながりを生んでいく彼女を見て、

できるかできないかではなく、やるかやらないかだ というよく耳にする言葉を

なぜか彼女と重ね合わせ、納得してしまう。その言葉が彼女そのものだからだ。

これからも彼女の勢いは猛獣のように誰も止められず、ひたすら前へと突き進んでいくだろう。

そして、いつか、人間という領域を超え、アイドルという新たな生き物を確立していく日が来ることだろう。

それでは、ご覧ください。 ホイアンええやん 第3弾!! ↓↓↓





「ホイアン日本祭りがとんでもなく忙しかったが、とてつもなく充実したものになってしまったぁぁ」の巻

先月、8月24日~26日の3日間、ここホイアンで毎年恒例となっている「ホイアン日本祭り」が開催された。

なんと、今年は、10周年記念であるため、通常2日間の祭りが今年は3日間行なわれた。

そんな中、私は何をしていたかというと、

祭りといっても、キラキラ目立つようなことはしなかった。

ただただ、日本の子供たちとホイアンの子供とを引き合わせてワイワイできる空間作りをやらせてもらっただけ。

50人近くの子供らをおいらと優秀なベトナム人スタッフで回すことにも、

ハラハラドキドキ堪らなかったが、

何より子供同士でちょっと気になる子ができて異国の恋なんか芽生えてほしかったというのがほんとのとこ。

そんなこんなで、運営側は二、三歩先を見ながらも、子供同士の貴重な一瞬を目に焼き付けながら、

地道にせっせとイベントをやらせていただいたわけだ。


【ホイアン祭り初日、イベント第1弾】

ルンテヴィン小学校新校舎開校式。

日本のある大学が支援したことで、なにやらお偉いさんらがたくさんいらっしゃった。

日本大使館の大使が来られると、さすがに腰が引けそうだったが、

そんなこと子供らにとっては、どーでもええことやったらしく、

早く日本の学生と交流をしたそうで、うずうずしていた。

「小学校の先生か!」って突っ込まれそうな下の写真だが、

一生懸命練習して本番に臨んだ支援して下さった日本の学校の校歌は、

傍から見たら大成功だったらしいが、

舞台にいたおいらと子供らは、

テンポが速くなる悪いクセを抑えようとアイコンタクトでもう必死必死。笑

おいらの声が一番でかかった気がしないでもなかった。笑

何はともあれ、歌い終わった子供らの表情は、

今年のベトナム中部小学生部門のベストショット賞に値するほどだったが、

そんな賞は存在しないため、

髪の毛ぐちゃぐちゃになるぐらい頭を撫で回してやった。笑

開校式合唱



【ホイアン祭り二日目、イベント第2弾】

ホイアン祭りに出演するために、来越した「土江子どこ神楽団」とホイアン中学生との交流会。

神楽団は、様々な国で公演をしており、今年は、ホイアン市から招待され、祭りに出演された。

その演技は圧巻。

この日は、交流会冒頭で、わざわざ中学生のために演目「大蛇」を披露してくださった。

子供とは思えない演技だった、いや、子供だからこそ、枠に囚われない演技ができていると思った。

鳥肌が止まらなかったのはおいらだけでなく、ホイアン中学生も同じだったようだ。

授業中の生徒も舞台を見に来るほどに、ホイアン中学生は、大興奮。

おいら自身も司会を忘れ、見入ってしまった。

DSC05515.jpg

中学校での交流会を終え、

神楽団の子供たちにホイアンのビーチを見て欲しかったため、あえて、ホイアンビーチでBBQ交流会。

彼らのベトナムへの印象を良いものに変えたい。

子供の記憶はずっと残る。それは僕自身も痛いほど分かる。

良い思い出を作ってほしい、そんな思いからこの交流会を企画したのだが、

もし彼らが緊張し、ずっと距離を置いたらと少し心配していたのもほんとのとこ。

だが、そんな心配は必要なかったようだ。

DSC05544.jpg

BBQ中の子供らの様子は、写真を見ればすぐに分かる。

大人には分からない感覚で交わっている子供たち。

最高に楽しい瞬間を共有し、互いに距離を縮めている。

この笑顔が生まれたことで、今回企画してほんとよかったと心底思った。

この空間に居合わせたことに感謝するとともに、ともに作ったスタッフ、仲間にまじで感謝!

DSC05554.jpg


【イベント第3弾】

日本では、子供の頃から、誰しもがやったことのある競技、

それが ドッジボール !!
DSC05680.jpg

日本では、かなり馴染みあるスポーツだが、

こちらベトナムでは、ボールを投げる競技には、親しみが薄い。

そこで、ベトナム人の子供及び大人に対して、ドッジボールを普及させようとの目的で、

去年からドッジボール大会を開催している。

今年も、子供から大人まで、日本人、ベトナム人、フランス人など

世代、人種を超えて、多くの方々に参加していただき、ドッジボールの楽しさに触れてもらった。

日本ドッジボール協会様からは、表彰状を、

ミカサ様からはドッジボール2つを提供していただき、締まりある大会を実施することができた。

参加者が真剣にボールを投げ、ボールを避け、

全員が1つのボールに集中している姿は、なんとも気持ちが良い光景。

いつの間にか会場は、一体感に包まれた。

この空間ができたことも、皆さんのご協力のおかげ、ほんと感謝っす!

今後も継続して、ドッジ普及に注力していきたい!

DSC05715.jpg
※ドッジを楽しむホイアンの子供たち

DSC05735.jpg
※大会終了後の集合写真



【ホイアン祭り最終日、イベント第4弾】

そして、最終日は、一大イベント「ホイアン日本語教育センター設立式典」

ホイアンは、日本との関係がかなり深いにもかかわらず、日本語、日本文化を理解できる場所がなかった。

そこで、ホイアン市との協力で、当センターを作ることとなった。

今まで、小中学校などに出向き、ホイアンで日本語教育を実施してきたが、

今後は、朝、昼、夜といつでもセンターで授業を行なえる。

さらに、この場所を日越文化人材交流の拠点としても活用できるようになる。

次第に広がっていく可能性。

これからが大変だが、初心を忘れず、皆さんのご意見を参考にしながら、

新しいことを仕掛けていきたい。

今回、センター設立と式典準備まで関わっていただいたホイアン市、

弊社スタッフ、式典にご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!

DSC05936.jpg
※設立式典会場の様子

設立式司会二人
※司会を担当するおいらとVyさん

DSC05983.jpg
※会場からセンターへ移動、センター看板披露式の様子

日本語センター教室
※センター内にある教室の様子



【祭りを終えて・・・】

今回の様々なイベントを企画、準備、本番まで

現場で共に動いてくれた、ベトナム人スタッフVyさんとフエ外国語大学のインターン生3名。

優秀な彼女らがいなかったら、本当になにもできなかっただろう。

先方とのやり取り、買出し、発注、ベトナム語資料作成、翻訳、通訳などなどあげれば、きりがない。

僕と先方の間に入って、苦労したことも多々あったと思う。彼女らが病んでた時もあった。

そして、僕ができることといえば、日本人であるということだけ。

日本語話すこと、日本語翻訳すること、作業を効率的に行なえるようにアドバイスすることなどもあるが、

それらは、彼女たちでもやろうと思えばやれること。

日本人が海外で働くということは、

絶対的にその国の方の協力が必要になる。

外国人である僕がたった一人で仕事ができるわけがない。そんなことは不可能である。

海外で活動する中で、苛立ってしまうこともそりゃもちろんある。

しかしそこで、自己中心的に傲慢で高飛車な態度を取ってしまえば、

誰も協力してくれない。見向きもしてくれない。

日本へ帰って働いてください、ここは私たちの国です、と言われるだろう。

今回、海外で働くことでの姿勢を改めて学ばせてもらった1ヶ月だった。

僕がここでできることへの確かな答えは、まだ見つかっていないが、

その国、文化、人を好きにならないとすべてはなにも始まらないことだけは分かった。

これからも模索し、迷う中で、答えらしきものを探していきたい。

祭りが終わった次の日、フエ大インターン生は、ホイアンでの実習を終え、フエへ帰っていった。

朝日に照らせれていつも以上に素敵な笑顔で、

「この1ヶ月間でもっと日本を好きになれました」と言ってくれた。

バイクに大きなスーツケースとリュックを積んで、

逞しく帰っていく彼女らの後姿を見て、

僕もベトナムがもっと好きになった。ありがとう、皆さん。


DSC06001.jpg
※写真は、祭り後のカフェで実習生3人から僕とVyさんにプレゼントをくれた一枚

「ホイアン日本語インターンシップ ~タツとの長く厳しい生活~」の巻


先ほど、夜の授業が終わり、いつもの屋台チャーハンを腹いっぱい食べた後、

いつものカフェで一息つき、そこのテレビで流れている映画「プレデター」を見て、

「プレデターは、お前さんみたいに、気持ち悪い顔しとんな~、タツよ」と言って横を見ると、

いつもそこにいるはずのタツの姿がなかった・・・。

そうだった、タツは、もう日本へ帰ったのだ。もうホイアンにはいない。

心にぽっかりと穴が空いた僕は、それを埋めるかのように彼との日々を思い出してみた。

カフェ


タツが4月中旬にホイアンに到着してすぐ、

誰しもが体験する洗礼を、受けることとなった。


下痢。下痢。下痢。


おそらく氷が原因であったのだろう。

1週間ほど、よくトイレに駆け込む姿を目にした。

東南アジアに来る日本人であるならば誰もがお腹を壊す。

それは、ベトナムの氷や食べ物におかしなウイルスが入っているからではない。

単純に長く日本に生活し、日本の食べ物に体が慣れてしまっているからだ。

ベトナムに生活するのであれば、ベトナムに適した体を作る必要がある。

体が異なる環境に適応し切れていないから、お腹を壊すだけのことだと僕は思う。

体調を壊し、1週間もすれば、体はその環境に合わせて、細胞を作り始める。

そうすれば、自然とベトナムで生活できる体ができる。

日本だけでなく、どの国でも生活できる体作り、

それこそがグローバル人材(地球人)となるべく第一歩なのかもしれない。

タツじーこ


ベトナム式ボディを作り上げたタツは、その後、本来の能力を余すことなく発揮することとなる。

歌が好きで、オフィスでよく熱唱をしていたタツが突然、

「音楽で国境を越えてみたい!」と言いだした。

そこからが早かった。小中学校で日本の歌を披露すべく、

少しだけギターをかじっていた僕と前職で培った歌唱力を持つタツとで、

日本人の誰もが耳にしたことがあり、きっとベトナムの子供たちの心のどこかに染み渡るであろう曲を選び、

毎週授業の頭で歌っていくことにした。

その様子がこちら↓↓ 2曲続けてどうぞ!!





歌好きのベトナム人にとってしてみれば、授業で歌を聴けることは、

最大の喜びではないかと思う。(まー、歌っている二人は涙が出るほどのド素人だが。。笑)

歌っている僕とタツも発表前日の夜は、よく深夜まで練習をした。

二人でハモれる部分を探し、試しては変え、繰り返し練習することで、

僕たちも次第に想いを込めて、歌えるようになった。

いつも教室で歌い終えた瞬間、

きっと子供たちには想いが届いたとお互いにタツとアイコンタクトをしてたことも今では懐かしい思い出だ。

小学生と


歌もそうだが、日々の授業、なにげない日常の一こまを見ても、

タツは、常に相手を笑顔にする。

子供たち、生徒、カフェのスタッフ、屋台のおっちゃん、在住の日本人、

触れ合う人すべてを楽しい気分にさせてくれる。

それを自然に違和感なくやってのける。

楽しくさせるだけではない。相手を思い遣る。

相手と真剣に向き合い、

自分の問題と同じように解決策を一緒に見つけていこうとする。

中途半端なことは言わずに、覚悟を決め、魂を込めて、言葉を発する。

タツのそのアドバイスに僕の授業もいくらか改善策を見出せた。

日本語に興味を持とうとしない子供たちを

どうやって引き込むか、

日本語を話したいが、伸び悩んでいる生徒を

どうやって伸ばしてあげるか、

僕とVyさんだけでは見えない視点、角度、切り口から助言をくれる。

それは、生徒目線でものごとを捉え、常に生徒を考えているからこそ思いつくアイデアだと思う。

その姿勢を改めて確認することができ、僕自身もとても勉強になった。

観光クラスと

タツが来てから、日本語教育現場の雰囲気がより一層良いものへとなっていった。

そんな日々を過ごす中で、我々にとって、とても大切な日が土曜の朝。

平日の忙しない時間から一旦解放され、心も体も頭もすべてリセットできる場、それがビーチ。

朝早くに市場で買い物する現地人の姿、ビーチまでの田園風景、牛がのんびりと雑草を食べる様子、

ビーチまでの一本道には土曜だからこそ感じられるローカルなホイアンがある。

一本道の果てには、南国の香り漂う常夏のビーチがあり、

そこには、タツおすすめの「Banyan」というお店がゆったりと営業している。

あまりに心地が良すぎた結果、このお店を皆さんに紹介したいという思いが

次第に僕とタツの中で湧いてきた。

その結果、紹介VTRを作ってしまった。

「第二回 ホイアンええやん 夢の楽園編」、どうぞご覧下さい。




そんなこんなであっという間に一ヶ月が過ぎてしまった。

毎日、日本語を教え、ベトナム人学習者と心が通じ合うまで懸命に対話する中で、

時には、迷い悩み。時には、弾け喜び。時には、ふざけ怒られ、と

ここだけでは語り尽くせぬ濃ゆ~い一ヶ月をタツと共に過ごした。


そして、いよいよ別れの5月中旬が来た。。。と思った、しかし次の瞬間!!

「まだ、ホイアンにいるよ。」信じ難い言葉がタツから出た。

「東南アジアを3週間ほど旅をし、その後、またホイアンに1ヶ月ほど滞在するよ」とまで言い放ったのだ。

心の準備をあれでもかこれでもかと調整してきた僕にしてみれば、

この一ヶ月間築き上げた別れのムードを彼の言葉によって一瞬にしてぶち壊されてしまったわけだ。

期待を裏切る。いい意味で。それもなんだかタツらしいな、とすぐに思った。


結局、その後、7月中旬までホイアンに滞在し、

長~~く厳し~~く楽し~~いホイアン延長生活をタツと

過ごさせてもらった。

そして本当の別れを迎えた。

Vyさん涙

Vyさんもいつもふざけ、バカをしてくれるタツがいなくなると悲しくて仕方ないのだろう。

涙ぽろぽろ。。


別れ

最後のコイツの笑顔ったら、もうなんていうか、清清し過ぎるというか、爽快な気分にさせてくれるよ。

逆に、またすぐ帰ってくるのだろう、と安易に思わせてくれるほどのさっぱりした別れだった。それでよかったよ。

日本に帰ってもお前らしく他を圧倒させる突き抜けた生き方を見せてくれよ~~。

また地球のどこかで会いましょ~!

「ホイアン日本語インターンシップ ~タツとの出会い~」の巻


ホイアン日本語インターンシップ!!

第一期生、タツ君がインターンを終え、無事日本へ帰国した。。。



さて、今、振り返ってみて、このインターンシッププログラムとタツの登場について綴るとしよう。

ホイアンの日本語教育プロジェクトをまかされている僕とベトナム人スタッフのVyさん。

僕、Vy


去年から小中学校と大人向けの日本語クラスを実施してきた。

そして、一年が過ぎ、彼らに僕だけではない様々な日本人と長く時間をともにしてほしい

という思いが湧いてきた。(もちろん、その日限りの多くの日本人旅行者に訪問していただいた)


し日本人である僕が長く彼らと向き合ってきたが、日本人にも色んな日本人がおり、

一人ひとり、外見、話し方、価値観、ユーモアが異なる。

僕のイメージが日本人となっている今、多くの日本人と長く接し、広く日本を捉えてほしい。

それが、日本語学習意欲へとつながり、日本をより理解してもらえるのではないか、

さらには、日本にとどまらず、違う国、文化、人に興味を持ち、一周回ってベトナムを見つめなおすことへと

行き着けばそれは幸せ極まりないものだと考えた。

Vi君とHUY君


また、海外に少しでも興味を持つ日本にいる日本人にとっても、

同じことができると考えた。

日本人にベトナム、ホイアンで日本語教師を体験してもらい、

アジアで働き、アジアの人たちと長く接し、深く理解することで、

アジアを自分の近くにもってくることができる。そして、海外という「海の外」にある遠いものという

イメージを払拭し、より広く世界を見渡す。それは必然的に日本を改めて見ることへとつながっていく。

そんな思いで、企画した「ホイアン日本語教師インターンシップ」に、

4月から1ヶ月間、イケメンの若者が申し込んでくれた。

彼の名前は、タツ、24歳。

タツ顔


彼は、専門学校卒業後、19歳から社会人となり、4年間しっかりと働いた。

その後、「教育」に関心を抱き、日本以外の国がどのような教育をされているのか、

現場に入って、自分の目で見てみたいという思いに駆られ、

仕事をやめ、ヨーロッパへ数ヶ月旅に出る決意をした。

オランダに出向いた彼は、不得意な英語に劣等感を微塵も持たず、

各地の小学校をほとんどノンアポで見学させてもらっていたそうだ。

彼の話によると、とにかく垣根が低いと感じたらしい。

学校だけで子供を育てるのではなく、学校、家族、地域、すべてが教育に関わっている印象を持ったそうだ。

子供が生き生きと学んでいる姿が日本とは大きく違ったと。

具体的なことは彼に直接聞いた方が面白いので、彼に直接聞いてみてほしい。

オランダ生活が1ヶ月経とうとした頃、知り合いを通じて、ちょうどこのインターンを知り、

なぜか遥々遠くオランダからわざわざ申し込んでくれたわけだ。

彼の旅をも遮ってしまうほど、このインターンに魅力を持ってくれたことに感謝している。ありがとう。


ベトナムへ移動し、やっとスタートしたインターンシップ。

タツとの生活は、もう二言でも表せないほど、濃厚でどうしようもないほど楽しい日々だった。

タツが来てくれたおかげで、日本語学習意欲が再び取り戻してくれた生徒もいたし、

タツに会いに来る小学生まで現れるほどとなった。

タツとの濃ゆ~いインターンシップ生活は、次回へお預けということで

次回、「タツとの長く厳しい生活?」の巻をお届けします。乞うご期待あれ!


タツ小学生と
小学生4-1クラスとタツ

タツバスケ
中学生と本気のバスケをするタツ

タツ観光クラスCと
観光日本語クラスとタツ




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